トスカンパニー代表・西村偵紀さん


――:え?違うんですか。ジャズオンリーかと思ってました。
西村:プレスリーやクリフリチャードとか、50年代のポピュラーなロックンロールだったね。60年代の日本って、向こうの音楽は『ジャズ』って言ってたわけよ。
――:スゴい囲い方ですね(笑)。何故ですかね。
西村:戦後間もない頃は、細かく分類なんてしないから、アメリカ物の音楽は全て『ジャズ』っていう言い方をしてたんだろうね。17~18歳の頃に、よく入り浸ってたね~。何にも悪さしてないのに、そういった場所に足を運ぶのが不良と思われてた時代だよ。単に音楽が好きなだけなのにねぇ(笑)。当時の人気のあった歌手で、佐川光男とか飯田久彦とか知ってる?
――:いやー全くです(苦笑)。
西村:だろうねー?(笑)。彼らなんかが人気があってね、プレスリーの曲とかを日本語で歌ったりね。そのバックバンドをやってるのが、まだ売れてない『いかりや長介&ドリフターズ』だったりするわけだよ。
――:おー!下積み時代の長さん。
西村:そうそう。お茶の間にもあまり出てない頃だね。他にも尾藤イサオのバックで、ブルーコメッツなんかが演奏してたしね。
――:森と泉に~♪のブルーコメッツですか。
西村:ああ、そうだね。でもGS(グループサウンズ)の頃にはブルーコメッツの方が売れちゃったよね。でも尾藤イサオは若い頃カッコよかったんだよー。マイクさばきから腰の振り方なんか、外人みたいだったな・・・そんな訳でいつもお店には出入りしているから、若い女のコたちとも仲良くなってね。ナンパとかそういうものじゃなくて、名前も覚えてないような感じの間柄で遊んでて、いい青春を送ってたね。あと、トイレットペーパーをステージに投げたりとか。
――:トイレットペーパー?
西村:そういった役割があってね。ステージに投げたりして遊んでたわけよ。だから、今考えたら一番楽しい青春時代だったね。
――:20代はどうされてたんですか?
西村:20代前半はね、大学に失敗しちゃって、色々なアルバイトばっかりしてた時代だった。銀座に『みゆき族』っていうのが出て来たころかな?(東京銀座のみゆき通りを徘徊していたハイティーンたち)そのファッションがアイビーなわけ。
――:俗に言う「VAN」ですか?
西村:そ~そう「VAN」。袋を抱えて、髪型は7:3分けのアイビーカット。チェックのショーツを履いて、トップサイダーのデッキシューズを履いてね。みゆき通りはオシャレな人達ばっかりだったよ。もちろん、私もオシャレしてアイビーだったしね。当時の日活映画スターで・・・、赤木圭一郎って知ってるかな??若くして事故で亡くなったんだけど、ファッションもアイビーですっごく(かなり強調)カッコよかったね~。すり切れたジーンズに、ノーソックスでローファーを履く、そしてボタンダウンのシャツとかポロシャツ着てて、シンプルでオシャレだったんだよ。哀愁もあったしクールでね・・・私もすぐ真似をしたな(笑)。
――:感化されやすい年頃ですからね(笑)。
西村:(笑)。まあそれだけ当時からファッションには興味があったってことかな。だからそういったオシャレなファッションをして、人気のある遊び場に行くんだよね。土曜日に関しては、間違いなく朝まで遊んでたな・・・(思いにふける)。だけどねー、今じゃ有名な人達もたくさんいたよね。例えば・・菊池武夫さんなんかもそう。武さん(菊池氏の愛称)なんかがいるお店に、皆が移動するようなシーンがあるぐらいに人気者の人でね。現在でも、夜のシーンを作ってるらしいけど(笑)。そんな人だから、今でもやっぱりカッコいいのよ、すり切れたジーンズにアロハシャツなんか着て、キャップ被ってて。いつまでも変わらないっていうかね。私も今、○○代だけど、70になっても、80になっても、ジーンズをベースに着こなしていたいね。


――:いいですね~いつまでもオシャレして下さいよ。
西村:そうだね。色々な人との出会いはあったけど、一番は「北村勝彦」っていう人との出会いだったかな。
――:スタイリストの北村勝彦氏?
西村:そう、彼も今では超有名人だけど、当時はマガジンハウス(出版社)のファッションエディターをしていたんだよね。ポパイ(ファッション雑誌)の創刊から関わっている人間で、彼やユナイテッドアローズ現代表の重松氏なんかは、群を抜いてこだわっていたというか、当時は誰も見ていない洋書なんかを見て、服のチェックしてたぐらいだからね。自分もオシャレが好きだったんだけど、彼らはかなり追求してたから、今で言うオタクだっだんだろうね。インポート物を身につけてる奴らは『カッコいい』っていう時代だったのよ。だから彼のセンスや感性などから、更にファッションに目覚めたっていうか・・。今の私が居るのは、彼の存在があってこそだと思うね。私自身、ファッションは好きだったから、洋服屋の販売員や、営業の経験を生かして独立したんだよ。アパレルの仕事をしながら、28歳ぐらいには飲食屋も始めたし。