ノブカークラフト代表姫野信夫さん


――:はい。
姫野:それから何をやろうかって考えた時に・・結果論じゃないですけど、自分の好きな事をやろうと思ったんですよ。それを膨らませていったことが、今の原点だと思うんですよね。だから好きでもない事をお金が入るからっていうだけでは長く続かないと思います。
――:やはり根幹に好きではないとやっていけないと。
姫野:そうですね。当時の流行で商売をやっていても『栄枯盛衰』っていうか、どんな商売でも良い時もあれば、悪い時もある。何かをやろうとする時って業績がいいものをやろうって普通は思うじゃないですか。1~2年は良くても10~20年のスパンで考えた時にどんな業種でも落ちていく事があるでしょうから、悪くなったらどうしようか?と考えれば考えるほど、『好きなこと』じゃないとやっていけないと思いましたね。


――:創業当時はがむしゃらでした?
姫野:う~ん、そうですね、始めた頃は、佐伯市で知り合いだった板金屋さんの一角を間借りして始めたわけですよ。『カーショップノブ』っていうお店でスタートしてね。最初は一人でやっていたんですけど、3年間ぐらいは・・給料はなかったですね(笑)。ほんと給料ってものは貰ったことはなかったですからね~(しみじみと)商売も教わりながらやっていたんですよ。店名もカッコいい名前とかもだいぶ考えたんですけど、やはり自分の名前だなと思い「ノブ」にしました。安直ですが、業績が伸(ノブ)に引っ掛けて(笑)。
――:え?基盤があって起業された訳でなく?
姫野:普通はどこかのカーショップにでも3~5年間ぐらいは勤めて、資金を貯めて、お客さんを連れて・・っていうのがセオリーなんでしょうけど、私の場合は全く無の状態から始めた訳ですよ。無謀ですよ。
――:それは大変だったんじゃないですかー?何か営業されたとか。
姫野:それもないですねぇ(笑)。そんな知恵もなかったんで、営業なんて出来なかったですよ。だからねー、ほんとに食えない訳ですよ。会社員からいきなりカーショップでしょ?全く分からない世界に飛び込んで来ちゃって。同業種からの転職だったら『どうも~お世話になります』的な愛想もできるのでしょうけどねぇ・・最初の頃はする仕事がない訳ですよ。することがないから近くの川にでも行って『あ~ぁ』みたいな毎日でしたね(笑)。
――:それはそれは(笑)。
姫野:人間、忙しくてツラいっていうのより、暇ですることが無いって方がはるかにキツい(笑)。朝起きて『今日は何にもないけど何しよ~か』みたいな(笑)。道具もなかったですから、お隣の板金屋さんにお借りして・・ピットも無く、何をするのも屋外で、『青空ピット』って言われてて、タイヤ交換なんか晴れた日はいいですけど、雨の日は傘さしてやってましたねー(笑)。カーオーディオの取り付けも屋外でしたから、雨が降ると車のドアを閉めて室内で取り付けしてました。だから梅雨時は特にイヤでしたね。始めた頃は本当にそんな毎日でした。商売の方法も実践で一から習得していった感じですかね。
――:想像するだけでスゴいです(笑)やめようとかは考えなかったですか?
姫野:ないですね。サラリーマンにはもう戻ろうとは思わなかったですしね。会社の上司に、『なんでヤメる?定年まで頑張って、その後は年金で楽しく生活すればいいじゃないか』って言われてたんですけど、自分の思うような人生を過ごしていこうと決めていたのですが、始めたころはキツい時の方が多く、暗闇にいるようで、『潰れたらカッコ悪いな~』なんていつも思いながらね。永ちゃんじゃないですけど『絶対に這い上がる』って感じですよね。
――:なるほど。その後、お店は徐々に上向きになっていったんでしょうか?
姫野:ウチは当初、業界の中で、どの系列にも属していなかったんですね。その為、大分市に出て来てもそうですけど、やり方が違っていたり・・新しかったり・・そういった姿勢が支持されてきたんでしょうね。
――:例えばなんでしょう?
姫野:当時、オーディオは手間がかかるし面倒だから、他店ではメインではなく、何かのついでにやるくらいでしかなかったんです。タイヤやホイールだったら取り付けも早く済み、効率がいいですからね。ウチは逆にオーディオに力を入れてました。だからタイヤやホイールをメインで扱う他店との系列には入らなかったんですね。
――:何故でしょう。
姫野:結局、系列でやっていると考えることも近いから、お客さんからするとね・・、「どの店に行ってもあまり変わらない」ということになってしまう。まあオーディオとか手間のかかる事をやってたので、お客さんからすると他店とは少し違がった、今で言う『差別化』が出来てたんでしょうね。