OITA-TOPS代表坪井健一郎さん


――:お店の構想は固まっていたのですか?
坪井:まずはオーナーが言うようにライブハウスを見て回ったよ。九州、東京とね。大分にもライブハウスは存在してたけど俺のやりたい感じではなかった。なんか大人っぽい感じがするんだよ。もっとロックな感じ、そう、コアな感じの。その夢を実現すべく、1989年『TOPS』がオープンしたわけだ。
――:おめでとうございます!スタートは順調に?
坪井:いや(笑)。うまくいかないから苦労の連続。店はデカいパブって感じの造りで、週末だけライブをやっていた。平日はカラオケでも何でもこなして営業してたかな。毎朝6時まで営業で、ライブがある日は昼の3時からリハーサル。そんな毎日で何かイライラしてたね。当然、思うようにいかず1年でギブアップして。
――:あらら。
坪井:それでライブだけに絞り込んで本格的なライブハウスを作りたいと感じたんだよ。会場の広さを縮小してもね。中途半端じゃイヤだから当時のオーナーに辞表を出して、自分で店の構想を練っていたんだけど、福岡のDRUM(注3)の社長さんに電話して知恵を借りようとしたんだよね。
――:相談ですか?
坪井:そう。軽い話だったんだけど、話しているうちに『一度規模を落とすと、また元の規模に戻すのは大変だよ。うちでまとめて面倒みようか』って事になって、ついにDRUM-TOPSが誕生するわけだ。
――:私も当時、大分にもこんなライブハウスが出来たんだなって感動しましたよ。
坪井:ああ。気がついたらもう18年なんだな(笑)。DRUM時代は15年だけど、いろんな事があったな・・・(想いにふける)・・イカ天ブームもあったな。
――:その頃ってまさにバンドブームでしたよね。思い出が多いでしょ。
坪井:あ~(うなずく)、当時は、福岡からバンドが流れてくる形はあまりなくて、こっちから宝島とかの雑誌開いて電話してんだよ。『大分でライブハウスやってます、DRUM-TOPSですが、ウチでライブやりませんか?』って感じで。考えてみたら今みたいにメールって訳じゃないから、大変だったと思うよ。大分県の音楽興行本数が人口に比例しなくて多いというのは、俺の力が絶対あるって(笑)。
――:はい(笑)。
坪井:自分の観たいバンドとかも交渉したり、来たはいいけどテクニシャン系のバンドでPAオペレーションがものすごくプレッシャーだったりとね。それと昔からのファンだったバンドが、自分のお店でライブしたのも思い出に残ってるよ。
――:失敗談なんかありました?
坪井:ザ・モッズの打ち上げかな(笑)。
――:(ガクっと)昔からのファンじゃないですか!
坪井:あ~んな事は生きてる心地はしなかったな。憧れの人達が自分の店でライブして、打ち上げにも誘ってもらい、行ったはいいが、何を喋っていいのか全然わかんない(笑)。ほんとうにこう(手を伸ばして)目の前50cmにはモッズのメンバーが座っていて、喋る声は聞こえるんだけど、何を質問していいのかも分からない。「うわっ!・・この空気の中に俺はいてもいいのかな」って(笑)。だから、ひたすらひたすら飲むしかないわけだ。
――:らしくないです(笑)。
坪井:喋れないから手持ちぶたさになって、「坪井さん、ビールでいいですか?」、「ああ・・はい」、「あれ?空いてますね」、「・・じゃあバーボンをロックでお願いします」、「こっちビールおかわりありますよ」、「ああ、はい・・」そんな訳でしかたないからどんどん飲む(笑)。
――:(爆笑)。
坪井:辛そうだろ(笑)。身動きとれないんだから。でも~やっぱりオーラだよね。独自の空気がある人達というか。憧れの人を前にすると、本当に駄目だったな。帰るころ、「おおっとヤバイッ」って足がおぼつかない。あれは情けなかった(笑)。そして、泉谷しげるさんが来た時もな~にも喋れんかった。楽屋には挨拶に行くんだけど、サインも貰えんでなんも喋れん(笑)。そういった経験は言い出したらきりがない。