OITA-TOPS代表坪井健一郎さん

OITA-T.O.P.S。大分県在住の音楽ファンならその名を知らぬ者は皆無と言っていいだろう。大分市中心部にあるこのライブハウスは、18年の歴史がある。紆余曲折を織り交ぜながらも、ミュージシャンの聖地として、特に若手アーティスト達にとって絶大なる人気を誇っている。「大分にはあんまりこだわりねーな」という、破天荒に生きる大分ロック魂・坪井さんに話を伺った。

――:音楽に興味を持ったきっかけを教えてください。
坪井:小学生の頃だろうな・・叔父さんの家からレコードを持って帰って当時流行っていた吉田拓郎、かぐや姫、チューリップなんかをよく聴いていた。まあ、いわゆるフォークソングやニューミュージック。虹とスニーカーの頃とか…ふきのとうも好きだったな。まあ純粋にいい歌だと思って聴いてた感じだよね。
――:もっとワイルドな曲を聴いてるイメージがありますが(笑)。
坪井:いや、ないない。そのあたりは高校生になってから。中学生になってフォークギターをジャカジャカとかき鳴らす程度だった。その頃というと悪友の影響で"KISS"や"RAINBOW"のような洋楽ハードロックが好きで聴いていたね。「なんなんだこれは!?今まで聴いたことないぞ!」って感じで。休み時間を利用して体育館で練習やったりライブやったりしてたけど、あまりバンドという意識もなかった。考えてみればただの初期衝動。な~んも目標もなくやってたな(笑)。
――:当時、坪井さんのようなロック好きは多かったのですか?
坪井:ん~どうかな・・・。それこそ明星や平凡読んでいる年頃だから、まずいなかったね。まあ、俺も音楽というよりは遊びの方が達者でね(笑)。な~にする訳でもなく、夜中に友達と待ち合わせて深夜徘徊とかするわけよ。当時は勿論コンビニなんかない時代だったから、どこ行っても真っ暗(笑)。今でもよく覚えているのは大分駅にハンバーガーの自動販売機があったんだけど、夜中に腹が減った連中がその自動販売機の灯りに照らされながらハンバーガーをむさぼってる。異常な光景だよ(笑)。昼間は学校なんだけど、午後から早退してボーリングやインベーダーゲームするとか。だからどうしたって感じだろ?(笑)。しょせんその程度の遊びだけど思い出してもカワイイというかね。
――:(笑)じゃあ音楽にのめり込みはじめたのは高校生になってから?
坪井:そう。でも基本的なところは中学時代に大分のアマチュアバンドで"クロスワード"っていうバンドを観てからだな。アマチュアバンドが大分文化会館でライブをやっていてオリジナルを演奏しているっていう・・・意識的に前とは随分変わったのがこの頃だろうな。年齢的にはずっと上の世代だったけどインパクトがあったよ。
――:あの文化会館で!?すごいアマチュア音楽シーンじゃないですかー。
坪井:あ~凄かったと思うよ。それまで自分が思っていたアマチュアバンドというのは、コンテストで賞をもらうぐらいの考えしかないわけよ。でもアマチュアがオリジナル曲を演奏して、お客さんに来てもらうというのがあるんだ~と思ったね。それから高校生になって楽器屋さんに入り浸ったり、どこでライブやっているんだろう、と思ってちょくちょく顔を出したりして覚えてもらうようになって。
――:色んなバンドマンとの交流ですか。
坪井:そう。色んな交流があったな。最初は恐る恐る行くんだけどな(笑)。そのうちオーティスっていう練習やライブができる場所があって、そこを拠点として音楽漬けになっていったんだ。安くてメーカーも分からないギター持ってバンドやってたけど、やっぱり演奏していて楽しかったな~。楽器や機材を増やしたいけど『1万円もするんか~高けえな~3ヶ月の小遣い分が~』みたいな(笑)。
――:その頃はどんな曲を演奏してたんですか?
坪井:日本のバンドで"ザ・モッズ"や"ARB"のコピー。たまたまラジオで流れていたのを聴いて感動したよ。当時はめんたいビート(1970年代に福岡で起きたロックムーヴメント。サンハウス、ザ・モッズなど)という流行があって、福岡からどんどんカッコいいバンドが出ていた刺激的な時代だった。それまでとは全く違う感じのビートや日本語のメッセージが強烈でな。日本のロックはカッコいい!と思うようになったのもこの頃かな。いつしか歌う事に憧れてギター&ボーカルっていうポジションで演奏していた。モッズなんかは自分の中じゃかなり影響受けたしね。
――:確かにカッコイイですよね。ギターかボーカルがしたくなっちゃいますよ。
坪井:そうだろ?でも途中でベースもこなすようになった。当時大分で人気のあった"ジャンキー"ってバンドから「お前、ギター弾けるならベースも弾けるやろ?うちのバンド入らん?」って(笑)。そのバンドは抜群に人気があったから大体のコンテストは優勝してたんだよ。
――:じゃあ毎月のようにライブはガンガンと?
坪井:いや~とんでもない。3ヶ月や半年に一度とかライブできれば良い方じゃないのかな?本数自体は今の子たちと比べてかなり少ないけど、とにかく楽しくて仕方なかったのは覚えている。自分たちで企画して、ホールを借り、慣れないPAをしたりと苦労の連続だったけど・・・。とにかく人前で演奏するのは強烈に楽しかったのを覚えているよ。
――:苦労したぶん、今の子たちとは味わい方が違いますか。
坪井:ん~、時代が違うから、どちらの時代が良いとか悪いとかじゃないけどなー。その頃って今のように、たやすく情報が入らないだろ?だから自分たちで考えて行動を起こすしかないわけやろ。今になって考えてみると、なんでも簡単に得ることができない分、人間的に成長させられたんじゃないかとは思うね。与えられる環境ではないから、自分たちで色んな情報を探してたんだと思うよ。今のファッション見たってそうじゃない?「好きなミュージシャンが履いているジーパンはカッコいいな。ああ、501っていうんだ・・。どうやったらこんな色や破れ具合になるのかなー?」って自分で考えたりしてたけど、今だったら雑誌見てショップに買いに行って終わりでしょ。まあその分、俺のデニムは気がつくと全部破れてたけど(笑)。でも行動力としての中身の濃さは全く違うと思うね。