有限会社リミックス代表永田耕一さん


――:へー。でもアパレルとは遠いですよね?
永田:正直、お金はなかったわけですから。元手をかけずに一銭でも儲ける為にやりましたよね。それに日田は「あって当たり前」っていうモノが少ない。ファーストフードでもそうですし……、他の町に比べたら圧倒的に少ないと思うんですよ。クレープ屋もそう……。
――:ああ、なるほど。
永田:まずは低予算で出店できるように考えてて。店作りはほとんど自分で手掛けましたね。昼間は塗装屋をやってましたから、夕方に仕事から帰って来て「あ〜疲れた」なんて思いながら毎日コツコツやってたんですよ。最終的には2坪のお店を出すまで半年間かかりましたけどね。
――:根性ですねー、でもそれなりに設備投資がいるでしょ?
永田:ええ。でも職業柄、かなりコストをおさえられたし……、コンロなんかはナフコなんかで売っている一番安い物を買って来て……3000円ぐらいだったですかねー?クレープ専用なんて物は絶対買えないですから。最終的には合計で50000円ぐらいだったと思いますよ。
――:おさえましたねー。
永田:ええ。私の場合は一銭でもお金をかけられない状況でしたしね。それで、試行錯誤しながら味を確かめて、昼間の営業は姉に任せたんですよね。私は塗装の仕事を夕方終えてから、シンナーを落として、バンダナを巻いて「いらっしゃい!」っていう感じで。大晦日も休まず除夜の鐘が鳴る頃から頑張ってましたし。
――:じゃあ順調に?
永田:そうですね、まずはそれしか収益がなかったですから、あーでもない、こーでもないと、とにかく「売上」の事はいつも考えてましたしね。いずれは洋服屋を考えてましたから、あの頃は毎日コツコツと頑張ってお金を貯めるっていう事ばかりでしたね。それこそ、全く飲みにもいきませんでしたし(笑)。
――:(笑)。
永田:まあ、それなりに順調にいってましたから、今度はそのクレープ屋の横に6坪ぐらいのスペースで雑貨屋を始めましてね。総工費は……50~60万ぐらいだったかなー?洋服屋じゃまだキャッシュオンデリバリーが厳しかったので。単価が安い雑貨なら大丈夫かなと。いつもクレープ屋に来てくれる学生さんにも合わせて併用してやってみたらどうかな?とも考えたんですよ。
――:その雑貨屋さんが今の「リミックス」だったのですか?
永田:ええ、そうです。当時から「ワールド」に知り合いがいましたから、雑貨のメーカーさんを聞いて何社も電話をしていたんですよね。それも利幅のいいバッグに絞ったんですよ……、中でも人気の「ポーター」吉田カバンが気になっていて。ーーやっぱり「この先10年続くブランドって何だろう?」と考えた時に「ポーター」は外せなかったですよね。……でも、当時取り扱っていたところは大分県だったら「トキハ」だけだったわけですよ、オンリーショップがね。……まあ普通に考えたら5~6坪のお店で50~60万ぐらいしかかけてないところ……間違いなく取引無理ですよね?
――:まあ、普通に考えれば。
永田:でも、その後1年間は毎月2回ぐらいかな?吉田カバンの本部に電話したんですよね。「お願いします!」と、もう本当にしぶとく(笑)。何度も何度も。
――:(笑)はい。
永田:そうしたら「あの〜永田さん、とりあえず一度お伺いしますから」ってお返事いただいて、日田まで来て下さったんですよね。
――:へー。
永田:でも、来て下さったのはいいですけど、安い雑貨しか置いてないし、「多分ダメだろうな……」って思っていたんですよ。その時に……たまたま狭いお店に5~6人お客様が来てて………接客してたのかな?それを見た担当の方が「いや、お店を見に来るっていうのはもう取引はOKという事なんですよ」って言ってくださって!!「しっかり接客が出来てるとかそういった事が大事だから」と。……だから、もう、舞い上がりましたよねー。
――:それは嬉しいですよね。
永田:「大きな店構えでも、接客が出来てないところやプロがいない所には取引が出来ない」「断っても毎月お願いするところなんて、ほとんどないですよ」と言われてましたよね。粘った甲斐があったというか「こんなド田舎にポーターがある!」ってまさに嬉しさの頂点でしたよねー。
――:日田に「ポーター」ですからね。
永田:逆にお客様から「何で日田にポーターがあるの?」って信じてもらえなくって偽物だと思われたり(笑)。そういった意味では浸透するまで少し時間はかかりましたよね。でも、当時私は「毎日5万円」の売上目標があった訳で、それがほぼ確定できたのは大きかったですね。ーーそれからは、がむしゃらに「自分で仕入れて自分で売る」っていう事を繰り返して……「毎日5万」でも30日で150万じゃないですか?自分の給料は考えずにキャッシュは次の仕入れに使ってましたよね……2~3年間は無給でしたから………あの頃が一番働いた頃でしょうかねー。