――:ん?パルコ族っていうのは?
河崎:同じ学校のコとかじゃないのに、パルコの前で色々と喋って座っているような光景が・・・、今はないんでしょうけど。
――:へー。
河崎:まあ、僕は夕方にサッカーがあったんであまり参加してないですけどね(笑)。オシャレに興味があるような世代が集まってるような感じでしたねぇ。
――:そういった繋がりで仲間と共有するっていいですよね。僕なんかの世代だったら、パルコの前で目が合っただけで喧嘩売ってくる奴がいましたよ。
河崎:ハハ。何か・・僕らの世代って、大下座に言えば、知らない人と共有したりするのが不思議ではなかったのかな・・ちょっと特殊な世代というか。そんな中、自分達のクラブイベントのチラシをパソコンで作るようになり、デザインにも興味が沸いてきて。
――:最初のデザインの仕事って何だったんですか?
河崎:学校を出てからですから・・最初は知り合いのデザイナーから「今度、印刷物をやってみる?」っていう感じで言われたんですよ。バイトみたいな感覚で。その頃の自分ていうのは、飲食業をやっていて、それと平行しながらデザインもやるようになっていたんですね。まだ分からない事も多かったんで「ここは、こうやるんだよ」ってその人に教わりながら(笑)。まあ、学校を出て定職にはついてなかったですから。
――:どのぐらいの期間そうやって?
河崎:1年ぐらいですね。
――:でも変な話、体育大学を出て「教師になる」っていう将来が、180度違う事されているって不安だったりしなかったんですか?
河崎:どうだったんでしょうねぇ・・氷河期って事もあったし、何かゆっくり考えていたんでしょうね。まあ、教師実習なんかには行ったんですけど、「なにか違うな」って感じてて。やっぱり、DJしてたり気の合う人と出会って、思いのままに行動するっていうのが肌に合ってたんでしょうね。その間は、お金を貯めて旅行なんかも行ってたりしてましたから。
――:その年頃って遊びたい盛りでしょ。
河崎:ハハ。どうですかね(笑)、ん~やっぱり遊んでましたかねぇ・・・でも今思うのは、その頃に出会った人達っていうのは、自分の中でかなりデカいという事ですかね。遊びながらでも、色んな事をたくさん教わりましたから。今の自分が形成されたのもその頃が大きいかなと思います。
――:96~97年ぐらいから大分市の中心部って、美容室を筆頭に色んなショップがオープンしてましたよねぇ。その頃のファッション的なリーダーっていうか、共感できる人って誰だったんでしょうかね。
河崎:ファッションリーダー?どうですかね・・・野口強とか、まあ藤原ヒロシとか・・高橋循とかじゃないですか。僕らの頃では。
――:あー裏原の頃。
河崎:そうでした。府内町に東京や海外でバイヤーをされていた方がやっていた「BINGO」っていう洋服屋があって、よくそういった服なんかを買ってましたね。今の仕事を一緒にやっているディレクターも、大分の街中で洋服屋をやっていたんですよ。
――:世代的にどっぷりだったんでしょうね。
河崎:だと思いますね。大分の街から吸収してきた事は、今の自分には大きいと思います。

